平穏な日々

毎日を静かに楽しく暮らしたい…と思ってます。

アメリカから仕事関係でおつきあいのあるHさんがやってきて、こちらにも寄ってくれた。少しの時間しかこちらにはいなかったけど、ランチをご一緒した。
1年前、Hさんには長女のことでとてもお世話になった。
1年前の日記を読み返してみたのだけど、このことは書いていなかった。なにせ、震災日前後の話で、私達家族にとっては一大事だったけど、あの震災のことを考えたらほんの些細なことだったので、書く気にもならなかったんだろう。

震災の起こった日、長女は友達とロスにいた。卒業旅行中だった。最終日にニュースで日本の地震のことを知った。
Hさんはロス在住で、旅行に行く娘達のこと、よろしくお願いしますと伝えてあった。ただHさんも仕事があるため、観光案内はできないけど、何かあったときはまかせてと言われていてそれだけですごく心強かった。長女達も毎日びっしりオプショナルツアーを入れていた。そのツアー会社の人とHさんも旅行初日に空港で面会していて信頼できる方でしたよというメールはもらったので安心した。
で、帰国前日に地震。飛行機が飛ぶかどうか分からないけど、とりあえず空港には行くという話だった。成田着の便、JALやANAは欠航だった。長女は大韓航空だったので3時間くらい遅れて出発ということになり、とりあえず一つクリアした。さて、成田に到着しても、電車が動いているんだろうか?と心配になり、じゃあ泊まるところと思い成田周辺のビジネスホテルを予約した。が、近いところはすべて満室だった。少し離れたところで空いているとことがありそこを。ただその頃は原発がまだどうなるかという頃で少しでもこちらに近いところまで帰ってきて欲しかった。空港まで迎えにとも思ったのだが、まだ津波警報も解除されておらず、道路は完全に麻痺。こちらもすごい状態だった。とにかく自分の力で帰ってきてもらうしかなかった。
結果的に電車も在来線は何とか動いており、それに乗って帰ってきた。東京からは新幹線も動いていた。ほぼ予定通りだった。今から考えても震災翌日でよく電車が通常通り動いていたなぁと感心する。長女達は飛行機の遅れ以外ほとんど震災の影響は受けなかったんだよね。成田空港近くのホテルは理由を言ってキャンセルしてもらった。
で、Hさんも帰国の日に心配して空港に駆けつけてくれたらしいのだが、時間差で長女とは会うことができずきっと飛行機に乗ったんだと思いそのまま帰ったとのメールをもらった。とにかくHさんがいてくれて本当に有り難かった。今思い出してもあの時の緊張感がまた蘇ってくる。